Homai Web 特集

地震保険を語る

日本損害保険協会常務理事 栗山泰史
(肩書は発表当時)

 
「地震保険を語る」掲載にあたって
 
栗山氏 日本損害保険協会常務理事の栗山泰史氏が「地震保険を語る」という12回連載の短文集を執筆されました。東日本大震災の際に1兆2千億円の保険金を迅速に支払った日本の地震保険制度が一般の方々でもより深く理解できるようにわかりやすくまとめられ、全国の保険代理店がお客様に発信するニュースやメルマガなどで活用されています。地震保険への理解がさらに広まるように、栗山氏および日本損害保険代理業協会様のご好意により、ここにその全文を掲載いたします。(栗山泰史氏は2013年6月28日をもって日本損害保険協会常務理事を退任されました)
保険毎日新聞社
栗山泰史氏             

(第一回)東日本大震災のことを忘れない
 
 「さくらさくらさくらさくら万の死者」
 これは、大船渡に住む「桃心地」という方が、日本経済新聞の俳壇に投稿した東日本大震災後の光景を詠んだ俳句である。イタリア語にも訳され、ローマの日本文化会館で朗読されたという。
 死者と行方不明者の合計1万9千9人、建物全半壊38万3246戸。これが東日本大震災から1年を経た時点で公表された被害の実態だ。
 平成23年12月4日付の日経新聞「春秋」にはこう書かれている。
「忘れられるのが怖い。そう感じている被災者が多いと聞く。(中略)これから私たちが長く試されるのは、頭の記憶力ではなく心の共感力ではないか。」と。
 今回から12回にわたって、地震保険について語りたいと思う。誤解を恐れずに言えば、保険というものは、「心の共感力」を経済的な仕組みに変えたものであるように思える。詩人の谷川俊太郎は、「愛する人のために」という日本生命がCMに使った詩の中で、保険をこう表現している。
  保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、
  パソコンの便利さもありません。
  けれど目に見えぬこの商品には、人間の血が通っています。
  人間の未来への切ない望みがこめられています。
  愛情をお金であがなうことはできません。
  けれどお金に、愛情をこめることはできます、
  生命をふきこむことはできます。
  もし、愛する人のために、お金が使われるなら。
 保険の原点には、「一人は万人のために、万人は一人のために」というお互いの助け合いの精神が横たわっている。地震保険もまた同じである。
(文責個人)

(第二回)地震保険が生まれる前に・・・
 
 田中角栄という政治家のことは、とても多くの人が覚えているだろう。「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれる知識と行動力で政界に名をなし、学歴のないまま首相にまで上り詰めて「今太閤」と賞賛された。ロッキード事件で政界の第一線から身を引くと「目白の闇将軍」として裏から政界を牛耳った。
 この田中角栄氏が、44歳という当時では異例の若さで第二次池田勇人内閣の大蔵大臣に就任したのが1962年のことである。それから2年後、新潟で大地震が発生した。死者は26名と奇跡的に少なかったが、建物の全半壊8600棟、津波と液状化による浸水1万5298棟と建物の被害に注目が集まった。被害は新潟を中心に山形、秋田など、日本海側を中心に9県に及んでいる。
 この被害を目の当たりにして、田中角栄大蔵大臣が「地震保険が必要だ」と言い出したことが地震保険誕生の大きなきっかけとなった。そして、新潟地震の発生から2年後の1966年6月、「地震保険に関する法律」が制定されたのである。
 ところで、1923年(大正12年)の関東大震災(死者・行方不明者10万5千人、建物の全壊全焼32万1千戸)の際に、今と同様に火災保険では地震は支払えなかったが、当時の損害保険会社は火災保険の契約者に保険金ではなく見舞金を支払うことを決定した。原資として政府から6354万円を借り(利率年4分、償還期限50年、据置期間3年)、これに各社の自力での拠出分1134万円を加えて、合計で7488万円が見舞金として支払われた。6354万円は、当時の損保業界の負担感としては今の7兆円に近い金額である。この借入金は一部保険会社の経営を大きく圧迫する要因となり返済軽減の運動が続けられたが認められず、結局、戦後のインフレが問題を解決することとなって、1950年3月にようやく返済は完了することとなった。
 新潟地震の後に生まれた地震保険の過去には、このような長く、様々な保険の歴史があったのである。
(文責個人)

(第三回)自分で自分を守ること
 
 東日本大震災によって、「津波てんでんこ」という言葉が知られるようになった。津波の際には、ともかく各自がてんでに逃げることが何よりも大切という意味だ。 
 この言葉は、私自身の解釈だが、これに従って行動した人が、ただ一人助かった場合、「それでよかったんだよ、それしかなかったんだよ」と、その人が自分を責めないよう救いの手を差し伸べる言葉でもあるように思えてならない。地震の場合、防災はなく減災しかないというが、この言葉には、極限的な状態の中での究極の減災が込められているのではないだろうか。果てしなく重く、深い言葉である。
 ところで、地震において家を失った場合、人はどうすればよいのであろう。国や自治体が助けるべきだという考え方もあるだろう。しかし、私有財産制度の下では「自分で自分を守る」という「自助」が原則としての考え方だ。自由な意思の下で、持ち家の人がいる一方で借家住まいの人もいる。国が助ける場合は税金を使うから、持ち家の人にだけ税金が使われるという不公平は許されないのである。
 したがって、地震への備えの第一歩は、自分で自分を守るために地震保険を付けることである。しかし、地震保険以外には、まったく助けがないかというとそうではない。被災者を助ける仕組みには、「自助」としての地震保険以外に、「公助」として被災者生活再建支援法による救済がある。これは、阪神淡路大震災において、家を失い悲惨な目にあっている被災者が多数出る中、1998年にできた制度で、家を失った人に最高300万円の補償を行うことになっている。原則は「自助」であっても、国は被災者に対し、何もしないまま放置するわけにはいかないのである。
 そして「自助」「公助」に加えて「共助」がある。東日本大震災では日本赤十字その他に3573億円(2012.5.25付厚労省発表)もの義援金が寄せられている。これは家の被害とは関係なく配分されるが、家を失った人にとっては、「自助」、「公助」とともに「共助」も大きな支えになることは確実である。
(文責個人)

(第四回)地震保険なんて役に立たない?
 
石碑  岩手県宮古市田老町、長さが2千メートルを超え、高さが10メートルの日本一の堤防を築いていたことで有名になった町だ。「築いていた」と過去形で書かねばならないことが、心の底から悔しい・・・・。東日本大震災による巨大津波はこの堤防を軽々と乗り越え、町に甚大な被害をもたらした。
 同じ宮古市重茂の姉吉地区、明治、昭和の二度の津波で壊滅的被害を受けたこの地区には漁港から続く急坂に石碑が立つ。「高き住居は児孫の和楽 / 想え惨禍の大津波 / 此処より下に家を建てるな(以下、略)」、1933年に建てられたこの石碑が地区住民を今回の津波から守ることになった。
 どちらが優れていたかを論じるつもりは毛頭ない。いずれも、人がこの世に示す存在の証だ。科学技術を駆使して人は自然に挑戦し、それがもたらす様々な脅威を克服してきた。そしてその一方で、自然との調和を図るために長い時間をかけて多くの知恵を残してきた。まるで、矛と盾のように、どちらもが人を守るための大切な努力の現われである。
 地震保険という制度もまた、地震という自然がもたらす脅威に対する人としての営みの形である。「地震など滅多に来ることはない」「火災保険と違って建物の全額は出ない」「保険料が高すぎる」「地震のときは保険会社も経営が危なくなって支払えない」「損害査定のトラブルが多い」「地震がなければ全部が保険会社の儲けになる」などなど・・・、地震保険への疑問や批判の声は数多くある。
 地震保険は本当に役に立たないのだろうか。1966年(昭和41年)に誕生して以来、東日本大震災が発生するまで、正直に言えば、この保険が大きな注目を集めることはなかった。阪神淡路大震災の時でさえ、783億円の保険金支払いであったものが、東日本大震災では1兆2千億円を超える支払いとなり、世の中から、高い評価を得ることができた。この背景には何があるのだろうか。
(文責個人)

(第五回)地震保険が立っていたスタートライン
 
 前回、地震保険が東日本大震災によって、初めて高い評価を得ることになったと述べた。今回から、その背景について、少しずつ記してみよう。
 地震保険が誕生した1966年(昭和41年)頃、日本の国力はまだまだ小さいものであった。筆者は当時中学生であったが、子供のための年鑑に自動車保有台数を表す絵が書いてあり、アメリカは一家族が一台の自動車に乗っているのに対し、日本の場合は、一台の自動車に完全に溢れてしまうほど多くの人々が乗っていたことを覚えている。日本は、発展途上にあり、保険でも世界から相手にされるような存在ではなかった。ここで、「再保険」という言葉がキーワードになる。
 保険は、例えば、千円の掛け金を支払って、事故の際に百万円の保険金を受け取るという仕掛けになっている。千円が百万円になるということは、千人が千円ずつ出して集まった百万円を一人が総取りするということである。この時、保険会社は、いわば「胴元」の役割を果たしている。
 いわゆる博打の「胴元」と保険会社が異なるのは、千人のうち一人しか当たらないということを裏付ける確率計算ができることである。そして、もう一つ、非常に重要なことは、滅多に起こることのない大事故に備えて、保険会社もまた保険を掛けるという「再保険」という仕組みが後ろ盾として存在することだ。
 オリンピックが開かれたロンドンにロイズという名前の保険の引受機構があることを聞かれたことはないだろうか。これこそ、世界各国の保険会社が自分では手に負えないリスク(危険)について「再保険」を掛ける相手なのである。
 もちろん「再保険」はロイズだけではなく他にも大小含め数多くある。しかし、地震保険が誕生した昭和41年頃、日本の地震リスクについて手を差し出してくれる再保険者は、世界のどこを探してもいなかったのである。これこそが、地震保険が立っていたスタートラインであった。
(文責個人)

(第六回)日本国政府の決断
 
 地震のように滅多に起こらないが、ひとたび起こると途轍もない大災害となるようなリスク(危険)について、保険会社は、例えばロンドンのロイズのような世界の「再保険」という仕組みを通じてリスクの分散を行う。前回、ここまで述べた。
 さて、田中角栄大蔵大臣の「地震保険が必要だ」という鶴の一声にはどんな意義と重みがあったのか。今回は、これについて述べよう。
 地震保険が誕生した1966年(昭和41年)当時、世界の再保険者は日本の地震リスクに見向きもしてくれなかった。リスクが大きすぎることと、日本の国力が小さかったからだ。新潟地震の悲惨な状況に接しても、日本の保険業界だけでは、どんなにがんばっても巨大なリスクである地震保険の引き受けに乗り出すことは無謀なことであった。いざというときに「支払えません」と言って破綻するのは、保険会社にとって何よりも避けねばならない事態である。
 田中大臣の鶴の一声は、ここでとても重かった。当時の大蔵省は、大臣の命を受けて、「世界が相手にしないなら日本国政府が再保険を引き受けようじゃないか」と腹を括り、保険業界とともに制度の創設に向けて人知を尽くした。
 地震保険の発足当初、保険の契約限度額は建物が90万円、家財が60万円、しかも火災保険の契約金額の30%が上限で、全損の場合のみの補償となっていた。しかも普通の火災保険には付けることができず、当時の住宅総合保険または店舗総合保険(併用住宅の場合)に強制的に付ける形でのみ契約できるという制約が付いた。 この結果、保険会社や代理店は、総合保険(火災事故だけではなく自然災害など家に起こる様々な事故を対象とする保険。今ではこれが普通の保険で、火災事故のみを対象とする保険はほとんどない)の売れ行きが悪くなり困ったくらいであった。
 ともあれ、地震保険は、日本国政府が後ろ盾になったものの、政府も民間保険会社も、まさに恐々(こわごわ)の状態で誕生したのである。
(文責個人)

(第七回)二つの貯金箱
 
 日本は、世界の中でも類まれな地震の巣の上にある国である。地震保険は、政府の再保険引き受けというバックアップを得て、恐々(こわごわ)の状態で誕生した。しかしようやく民間保険会社としては、国民が抱える地震リスクに対し、保険を提供することができるようになった。
 では、保険会社は、地震保険で利益を得ることができるのだろうか。答えは否である。簡略化して言うと、保険契約者が支払う地震保険料は、保険会社に使われることなく、利益にされることもなく、すべてが貯め続けられることになっている。貯める先は、民間の日本地震再保険株式会社と政府の地震保険特別会計の二つである。つまり、地震保険料は個別の保険会社に留め置かれることなく、常に民間と政府の二つの「貯金箱」に納められ、地震が発生した際にのみ、この二つの「貯金箱」から保険金が支払われるという仕組みになっている。
 東日本大震災では、1966年(昭和41年)以来ずっと貯め続けたお金が民間と政府合計で約2兆4千億円あり、ここから1兆2千億円強が支払われた。まだ1兆2千億円近く残っており、東日本大震災の後にも、新たに地震保険の契約がされる都度、「貯金箱」のお金は少しずつではあるが貯まり続けている。
 ここで一つ疑問が生まれるはずだ。「貯金箱」のお金では足りない大地震が起こったらどうするのか、という疑問だ。この場合には、政府の「貯金箱」(地震保険特別会計)については一般会計から借入れを行い、民間の「貯金箱」については、政府が資金の斡旋・融通に努めることになっている。つまり、政府が二つの「貯金箱」に別口のお金を継ぎ足すことで急場をしのぐのである。そして、この借入れ部分は、その後新たに入ってくる地震保険料を使って返していくことになる。
「地震のときは保険会社も経営が危なくなって支払えない」というような心配は無用の仕組みとなっているのである。
(文責個人)

(第八回)長い長い「ゾウの時間」
 
 生物学者の本川達雄氏が書いた「ゾウの時間ネズミの時間」という本がある。とても感覚的なのだが、保険にも生物と同じように時間があるなら、地震保険の時間は、間違いなく長い長い「ゾウの時間」だ。
 前回書いた地震保険の仕組み(二つの貯金箱)について、具体的にイメージを見てみよう。出所は2011年9月8日、政府の地震保険特別会計に関するワーキンググループでの検討の際に使われた資料である。
 貯金箱のお金(以下では「お金」という)は、毎年地震保険料が新規契約や契約の更新によって1000億円ずつ追加で入ってくるとして、次のように変化する。
 1966年の地震保険誕生以来貯まった「お金」は2.4兆円あったが、2011年の東日本大震災により、1.2兆円に減少した。この「お金」は、その後の毎年の地震保険料によって回復し、2041年には3.9兆円となる。しかし、ここで発生する東海3連動地震によって▲0.3兆円にまで落ち込み、政府から赤字分の0.3兆円を借り入れる。その後、借入れを返して、2061年に1.5兆円まで回復した後、首都直下型地震によって▲1.5兆円となり、これも政府から借り入れる。さらに、2143年に5.9兆円まで回復した後、関東大震災の再来によって0.4兆円となる。以下、この資料では、2491年までの期間、大きな地震の度に大幅に減少し、そしてその後に回復していく「お金」の動きが折れ線グラフで掲載されている。
 もちろんこれは単なるイメージで、実際にこのとおりになることはない。言いたいことは、地震保険は、他の保険のように単年度の保険会社の決算に決して馴染むことのない、長い長い「ゾウの時間」の中で運営されているということだ。そして、実のところここには一円も税金が投入されていない。借入れ部分も地震保険料から返済する。つまり、地震保険制度は、地震保険の加入者が負担する保険料のみによって運営される、完全に「自助」の制度なのである。
(文責個人)

(第九回)地震保険の実務的な要点
 
 今回は、地震保険がどのような内容の保険であるか、実務的に記してみよう。ただし、保険のパンフレットではないので、詳細ではなく要点だけに留める。
 地震保険は、火災保険とともに付けるが、どうしても加入したくない場合は、その意思を捺印することによって示し加入しないことができる。保険を付ける対象は、住宅(併用住宅を含む)と家財である。東日本大震災で多くの自動車が津波の被害にあったが、自動車は地震保険の対象にはならない。自動車保険の方で用意する地震・噴火・津波の特約に加入することになる。
 保険金額(補償額)は、火災保険の保険金額の30%から50%の範囲で決めることになっているが、50%にすることが多い。ただし、上限があり、住宅は5千万円、家財は1千万円までとなる。
 地震による典型的な損害は揺れによる住宅と家財の損壊であるが、地震保険では、地震による火災に加え、噴火、津波による損害も対象になる。逆に、火災保険では、火災が被害の直接の原因であっても、地震による火災、噴火、津波は対象にならない。また、地震保険の損害認定は、全損、半損、一部損の3区分で行われる。
 もう一つ知っておくべきは、一つの地震における総支払い限度額が設けられていることだ。現在想定される最も大きな地震損害は、関東大震災の再来である。東海、東南海、南海の3連動地震もこれを下回る。この関東大震災の再来による予想支払い保険金は6兆2千億円だ。そして、この額が、一つの地震における最大支払額と決められ、これを超える損害になった場合は、一件ごとの保険金の支払額を比例的に削減して、総支払い保険金を6兆2千億円に留めることができる形となっている。
 火災保険と一緒に入ること、保険金額は火災保険の50%までで金額の上限あり、損害認定は3区分のみ、総支払い限度額の適用と色々な制約があるのは、やはり地震リスクが極めて巨大だからである。
(文責個人)

(第十回)地震保険料の「正当さ」
 

 「保険料が高いから地震保険には加入しない」という声を聞くことが多い。「高い」という感覚の背後には色々な事情があるのだろうが、やはり、一番の理由は、「地震なんてまず来ない、もし来ても被害を受けるかどうか分からない、それに対して支払う額としては高い」ということなのではないだろうか。
 地震保険の保険料計算のためには、二つの要素が必要になる。一つは地震そのものの発生予測、もう一つは保険の対象である住宅と家財の損害の予測である。地震保険の保険料率を出しているのは、損害保険料率算出機構という法律に基づく特殊法人で、次のような手順で保険料率を算出している。
 まず、政府の組織である地震調査研究推進本部が出している「確率論的地震動予測地図」に基づき73万の地震モデルを作成する。これが地震そのものの発生予測である。次に、日本国土を1キロ四方(1キロメッシュ)に切ってそこに所在する住宅と家財のリスク量を算出する。そして、この二つを重ね合わせて国土全体の地震リスクの総量を算出する。つまり、73万の地震の一つ一つによって、周辺1キロ四方内の住宅と家財にどれだけの被害が出るかを算出するわけである。最後に、日本を4つの地域に区分し、鉄筋と木造という2つの建物構造に分けて、4×2でできる8つのリスク区分に見合う保険料率を算出するのである。
 地震の被害予測はとても難しい。しかし、地震保険は、一般の保険とは異なり法律に基づき運営されている。そして、国が再保険を引き受けている。さらに、長い時間の中で収支を合わせなければならない。このような中で、人ができる究極の限界まで厳密に保険料を算出しているのが地震保険なのである。
 物理学者の寺田寅彦は、次のように言っている。
 「ものをこわがらなさ過ぎたり、こわがり過ぎたりすることはやさしいが、正当にこわがることは難しい」
(文責個人)

(第十一回)保険の持つ「公益性」の力
 
 地震保険は、東日本大震災によって初めて多くの国民に価値を認めてもらった。阪神淡路大震災で783億円の保険金支払いに終わったのは、当時、この保険の普及率が低かったのが一番の理由である。東日本大震災は被害がより甚大であり、宮城沖地震などの経験から多くの人々が地震保険に加入していた。
 そして、地震発生1年後の時点でみると、件数76万4938件、保険金1兆2185億円が被災者に支払われた。1兆2千億円を超える金額が、地震発生後すみやかに支払われ、世の中から高く評価された背景には何があったのだろうか。
 保険の業界誌である月刊ライト2011年9月号に、保険会社社員と保険代理店による「現地のコメント」が掲載されている。その中からいくつかを拾おう。
 「津波に流されながらも残った泥だらけの自社看板を見つけ、『私たちはここに残る。お客様のためにも、ここでやらなければ』と心に誓った」(代理店)
 「保険会社には、安心と安全をお届けするという役割があるが、今回は本当にそうだと実感した。担当している代理店からは『銀行のATMの前で地震保険金を受け取った契約者が号泣し、感謝をしてくれた』という話を聞いている」(保険会社)
 「直接お客様とお会いして保険金のお支払い手続きをすることで、『保険の持っている力』を改めて感じることができました」(保険会社)
 保険の原点には、「一人は万人のために、万人は一人のために」というお互いの助け合いの精神が横たわっている。堅く言えば、保険の持つ「公益性」である。
 東日本大震災の地震保険金支払いの仕事に携わる中で、多くの保険会社社員や代理店が、保険が本来持っている「公益性」を改めて実感し、これを自らの仕事の誇りに感じながら、目の前にある困難な仕事に向かっていったのではないだろうか。そしてそれこそが、東日本大震災における保険業界への高い評価につながったのではないかと感じている。
(文責個人)

(第十二回)将来に向かって、最初の一歩
 
 関東大震災も、阪神淡路大震災も、東日本大震災も、そして狭い地域に限定された地震でも、大地震は、被災者からすべてを奪う。子どもから親を奪い、親から仕事を奪い、家族から住んでいる家と家財を奪う。津波によって車も奪う。地震が人から奪うのは家と家財だけではない。
 「地震保険に関する法律(地震保険法)」の第一条には、地震保険は「地震等による被災者の生活の安定に寄与することを目的とする」と書いてあり、家の建て替えや家財の再購入のための保険とはされていない。地震保険は、家と家財に付けるものの火災保険とは異なる考え方を持つ保険なのである。
 しばしば批判されるが、現在の地震保険は、補償内容に限界があり、家や家財についてさえ元のままの形に回復する内容にはなっていない。しかし、この保険は、過去に蓄積した家や家財を取り戻すためには不十分であっても、被災者が、亡くなった家族の葬儀を行い、避難所からアパートに移り、例えば中古の軽自動車を買い、極めて大きな心の傷を負った子どもにほんのささやかな娯楽を与えるといった、将来の生活に向かって最初の一歩を踏み出すためには大きな価値を持っている。そして、東日本大震災において地震保険は、まさに本来の役割を発揮したのである。
 東日本大震災によって、改めて明らかになった地震保険の改善点は数多くある。もちろん、日本の地震リスクの巨大さのために、政府の再保険は今後も必要不可欠だ。そして、補償内容にも様々な制限が付くことを避けることはできない。
 しかし、あれだけの大震災において1兆2千億円もの保険金を短期間に支払いながら、破綻する保険会社が出ることで保険契約者や株主に迷惑をかけることがなく、海外でも日本の地震保険は高く評価されている。地震保険を制度としてこれからも守り、いっそう強靭なものにしていくための新たな歩みが、確実にまた日本のどこかに来る大震災に向かって、今、求められているのである。
(文責個人)
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